2025年春、EXPO2025 大阪・関西万博(大阪万博)の会場に大量飛来したことがニュースとなったユスリカ。
「たくさん集まって飛びまわる不快な虫」といったイメージはあっても、実際にユスリカとはどのような虫であるかは知らないという人も多いのではないでしょうか。
と話すのは、広島大学生物生産学部の河合幸一郎名誉教授。国内の専門家が集まる「日本ユスリカ研究会」で会長も務める河合さんに、改めてユスリカの生態から対処法まで詳しく聞いてみました。
広島大学生物生産学部の河合幸一郎名誉教授にユスリカの生態について話を聞きました
オオミドリユスリカ(画像提供:河合幸一郎)
ユスリカは、一般にハエ目とも呼ばれる双翅(そうし)目に属する昆虫で、ユスリカ科に分類されます。双翅目の名前の通り、2対4枚の羽を持っていますが、後ろ側の羽は退化して棍棒状の平均棍になっています。
分類上、パッと見でもよく似ている蚊やヌカカに近く、双翅目のなかでも比較的原始的な存在です。
幅広い環境下に多様な種が生息していますが、おもな種は川や湖、池といった水辺を好み、幼虫の間は水中の石についた藻類や沈澱した泥などの有機物を食べて成長します。
対して、成虫には噛む、齧る、刺すといった機能を持つ口器が退化しているため、成長したユスリカは液状物を舐める程度でほとんど栄養をとることはありません。
一年を通して発生しますが、国内では初夏や秋に大発生することが多い傾向です。極端な暑さや寒さには弱いので、真夏や真冬には見かけることが少なくなります。
血を吸う蚊との違いは?
ユスリカと蚊は同じ双翅目に属し、見た目もよく似ています。しかし、ユスリカの成虫は前述した通り発達した口器を持たず、蚊のように人を刺して血を吸うようなことはありません。
両者を見分けるポイントとしては、壁などの平面にとまった時の姿勢があります。
どちらも6本ある足のうち、真ん中の2本を平面につけているのは同じです。例外はありますが、蚊は前足を下げて後ろ足を上げた「尻上げ」ポーズ、ユスリカは前足を上げて後ろ足を下げた「バンザイ」ポーズでとまります。
1つの科にこれほど多くの種類が存在しているのは、昆虫としてもめずらしいもの。これは環境に合わせて生存のために住む場所や食べるもの、食べ方などを変えてきたことに起因します。分布や生き方を変化させて競争を避けてきたのです。
1カ所に増えすぎたユスリカは、流れのさらに上流や下流の海などへ新天地を求めて移動します。そして、そこの環境条件に多次元的に適応することで、新たな種が生まれます。
こうした移動と環境適応を繰り返してきた結果、幅広い環境に多種多様なユスリカが存在するようになったのです。
河合さん
驚くほどの適応力で、熱帯のジャングルからツンドラ帯、北極や南極といった極地まで、水辺に限らず畑や木の幹といったあらゆる環境に生息しています。
樹液を吸うユスリカ
地球規模では万単位の種が存在し、多様性を特徴とするユスリカ。私たちがよく目にしているのは、どのような種類なのでしょうか。
ここでは、国内で身近によく見られる、代表的なユスリカの種類を紹介します。
ユスリカとひと口に言っても、見た目も住む場所もさまざま。国内でよく見かけるオオユスリカ、セスジユスリカ、アカムシユスリカ、シオユスリカの4種だけでも、水辺や都市部など、環境によって分かれています。例えば、万博で大量発生した「シオユスリカ」は、淡水と海水が混じる場所を好む種類です。
陸生の種やトビケラなど他の生物の体内に卵を産んで孵化後に捕食する種も見られますが、多くのユスリカは水中や水辺の湿った土などに産卵します。
卵は通常数日で孵化。その後、2週間ほどから長いものでは7年間と、比較的長く幼虫の時期を過ごします。幼虫の期間は寒冷地ほど長くなる傾向です。
しかし、数日間ほどの蛹の期間を経て成虫になると、長くても3日ほど、猛暑の時期などには1日で寿命を迎えてしまいます。
河合さん
吸血する蚊のメスが1カ月もの寿命をもつことがあるのに対し、栄養をとることのないユスリカの成虫は、儚くも数日でその生涯を終えてしまうのです。
水路に形成された蚊柱
この短い成虫の期間に、次世代へと命をつなぐために形成するのが、いわゆる蚊柱(かばしら)です。
春から秋にかけての明け方や夕方、河川敷などの水辺を中心によく見られる蚊柱は、同じ種のユスリカのオスが群れをなしたもの。ここにメスが飛び込むことでパートナーを見つけて交尾します。
河合さん
つまり、蚊柱はユスリカの生殖行動なのです。
交尾をすませたユスリカのメスは、水中や水辺の泥の中などに卵塊と呼ばれる卵の塊を産みつけます。
1匹のメスが一度に産む卵の数は、種によってさまざまです。多くの種では数十から数百程度ですが、オオユスリカの場合は1つの卵塊の中に2千から4千個もの卵が入っていることがあります。
卵が成虫になるまでの期間も種や季節によって変わりますが、一般的には1〜2カ月、冬に生まれた場合は3〜4カ月が平均的です。
夜間に、街灯の下に蚊柱が立っているのを見かけたこともあるでしょう。ユスリカには正の走光性があり、光に集まる習性をもっています。
特に波長の短い光を好む傾向があり、青白いクールな感じの明かりに多く集まります。
同様に、光の反射率が高い白色を好み、白い壁や白い車、白いシーツなどの洗濯物に集まることも。光の下や白いものの周辺に蚊柱を形成することもよくあります。
人を刺すことのないユスリカですが、1カ所に多くが集まることで、ときには不快感を与えてしまいます。これが害虫として駆除対象となる原因ともなるのです。
それぞれの種がもつ特定のニッチ(生態的地位)にぴったり合う環境が形成されることで、ユスリカが大繁殖するケースが見られます。
大量発生するユスリカの多くは、幼虫のときに泥や藻類などを食べる種です。
大量発生をもたらす環境形成には人間の手が関わっているケースも多く、話題となった大阪万博会場での例もこれにあたります。
EXPO2025大阪・関西万博会場
海に近い埋立地である万博会場には、ウォータープラザなどの海水を利用した施設もあります。ここで海水と会場内で用いられている淡水とが混ざり合うことで、シオユスリカにとって住みやすい環境が生まれたのです。
また、会場整備によりシオユスリカの天敵であった鳥たちが住処を追われたことも、大量発生につながった要因でしょう。
ユスリカの大量発生は周期的に繰り返すもので、シオユスリカのライフサイクルを考慮すると、2〜3カ月おきに大量発生が起こる可能性は高く、今後も大量発生してもおかしくはありません。
ユスリカは卵の状態で仮眠する場合があり、現在水中や泥の中でひっそりと孵化を待っている卵が幼虫・蛹化し、成虫となって一斉に飛び立つ可能性も考えられます。
河合さん
次の大量発生が考えられる時期としては9月から10月にかけての万博閉会前後でしょうか。
長崎県・諫早湾干拓事業で設置された潮受堤防の排水門(諫早市)
同様に、有明海の諫早湾(いさはやわん)では、20年ほど前に干拓事業のために水門を閉じたことで、以降例年調整池にユスリカが大量発生するようになっています。
埋め立てや干拓により従来あった水の流れが堰き止められ、自然の浄化作用が働かなくなったことで水質が富栄養化し、特定のユスリカに適した環境をつくりだした例です。
ユスリカは蚊と異なり、マラリアやフィラリア、デング熱、日本脳炎のような病気を直接媒介することはありません。
以前、東南アジアでコレラが流行した際に、コレラ菌を取り込んだ一部の成虫が蚊柱をつくり、そこに接触した人々に病気を蔓延させたと考えられる例はありました。しかし、基本的には病原体を媒介する虫ではないのです。
人を刺すこともありませんが、多く集まるので見た目が悪く、不快感を与えることはあるでしょう。洗濯物などに付着すると、衛生面も懸念されます。
また、90年代の研究では、ユスリカが結膜炎、喘息、鼻炎、下痢といったアレルギー症状を引き起こす原因となっている可能性が示唆されました。
遺伝的素因のある一部の人にとっては、昆虫に共通する成分や、ユスリカの特異的な成分がアレルゲンとなります。ユスリカの死骸が大量に発生すると、細かい粒子となって大気中に飛散し、これを吸い込むことでアレルギー症状を引き起こす可能性もあるのです。
フタモンツヤユスリカ(画像提供:河合幸一郎)
一方で、ユスリカが環境に良い影響を与えることもあります。
水底に泥やヘドロが堆積する河川や湖沼では、定期的に浚渫船(しゅんせつせん)を用いてこれらを取り除き、水深を確保する必要があります。
しかし、大型のユスリカが高い密度で生息しているエリアでは、泥やヘドロをユスリカが効率よく食べてくれるため、浚渫工事にかかる多額の予算を軽減してくれているのです。
茨城県の霞ケ浦
かつて茨城の霞ヶ浦では、オオユスリカ・アカムシユスリカが大発生しており、湖底の有機物を除去して水質浄化に貢献していたと考えられています。年間で40トンもの窒素と4トンのリンを除去したというデータもあるほどです。
また、湖底の有機物を食べたユスリカをコイやフナ、ワカサギといった魚類やツバメ、セキレイなどの鳥類、コウモリやクモなどが食べることで、物質循環にも貢献していたはずです。
ユスリカの減少によって、水質浄化や物質循環がはたらかなくなり、人間にとって有益な生態系の機能も低下してしまったと考えられるのです。
一部自治体では、ユスリカの水質浄化作用を、公園トイレなどの水の再利用に活用している例もあります。
さらに、ユスリカはいわゆる「水質センサー」としての役割も果たしています。
きれいな水から汚染された水まで、また有機物が多い水から少ない水まで、あらゆる水質で生息できるユスリカが存在しますが、水質が変われば生息するユスリカの種も変わります。
つまり、湖沼や河川とその周辺に生息しているユスリカの種類を見ることで、水質検査をしなくてもそのエリアの水質を推し量ることができるのです。
河合さん
ユスリカの研究者は、山の中の水場などに夜間に到着しても、水を見ることなくその質がわかります。街灯や自動販売機などの光に集まったユスリカがどの種であるかを観察すれば良いのです。
ユスリカの発生を抑えるには、昆虫成長制御剤が有効です。成虫が発生してからではなく、幼虫の段階から使うことが重要で、成虫への殺虫剤や虫除けの使用は、発生の抑制の点ではあまり効果がありません。
河合さん
ちなみに、ユスリカは薬剤に大変弱い虫です。家に入ってきた場合は、殺虫剤で簡単に駆除できます。
ただし、発生してしまったユスリカの成虫に対しては、寄せつけないよう工夫することで、被害を避けられます。
光に集まらせないために、紫外成分を含まないLED電球や赤色・オレンジ色といった波長の長い光に変えたり、遮光カーテンを使用したりすることである程度の効果が期待できます。
反対にユスリカが好むUVライトや短波長光で大量に誘引し、電撃で駆除する捕虫器を設置するのも良いでしょう。
そのほか、自宅や生活環境の周辺に、ユスリカが発生する環境をつくらないことも大切です。
河合さん
多くのユスリカは湿り気のある風通しの悪い場所を好むので、たまり水をつくらないようにしたり、植栽を剪定したりするなどの環境管理で対策できます。
住む場所や食べるもの、食べ方を変えることで、地球上のあらゆる環境に適応し、種を増やしてきたユスリカ。その小さい体躯からは想像できないほどの高いサバイバル能力をもつ、たくましい昆虫です。
大量に飛来し蚊柱を形成するなど、不快な側面もありますが、実は河川や湖沼の水質浄化や生態系の物質循環で大きな役割も果たしています。
小さな虫の存在が、私たちの環境を映す鏡になっているのかもしれません。だからこそ、ユスリカの生態をよく知り、上手に共存していくことが、未来の環境を守るうえで大切なのです。
河合さん
ユスリカは国内だけでも約1500種、地球全体では1万を超える種が存在するといわれていて、その多様性において驚異的な昆虫です。